クリスチャンの骨壺管理

キリスト教では日本式のような決まり事は少なく、骨壺の安置方法も自由です。好きな所に置いて構いません。ただ信教の別を問わず、故人の死を受け入れるのは時間が掛かりますから、それまでの間は気が向いたら話しかけられるような距離の場所を選ぶと良いでしょう。毎日骨壺に向かって供養することで、大事な人の死に向き合うことができるようになるのです。これは医学的にも言われていることですが、供養行為には遺族のストレスを解消する力があるのだそうです。遺族の中にも色々な人がいますから、すぐに死を受け入れられる人もいれば、うつ状態に陥っている人もいます。誰がどのタイプであるのか予想するのは難しく、筆者も予想をはるかに超えた人間模様を見てきました。危険な精神状態を避けるためには、葬儀という儀式で区切りをつけるように暗示をかけることです。例えば遺骨となった父を抱えて自宅に戻った時、葬儀業者が祭壇を組み立てていることがありますが、自宅に新しい祭壇が出来ることで、父との別れを実感することが出来ます。別れを否認するのではなく、別れを別れとして受け入れること。簡単なようで難しい作業です。多くの遺族は葬儀が終わった時の安堵のまま、別れを肯定するように努力しています。まだ身内の死を実感できない人は、是非自分の苦労を褒めてあげてください。親族として葬儀の務めを果たすのは大変なことです。自分がそれを達成したのだと、胸を張って下さい。葬儀業を続けていると、お客様である遺族の方々から感謝されることも度々あります。彼らは葬儀を無事に執り行えたのは我々業者のおかげだと考えるようです。しかしそれは誤りです。葬儀は親族の頑張りに支えられて成立するものです。

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